2005年04月19日

西田直養『筱舎漫筆』巻六「郭公鳥」

郭公はホトヽギスとなく。ゆゑに名となりしといふ事、むかしよりいひて、谷川翁なども、かの十王経のことひきて委しく論あり。されど是までうべなはざりしを、今年この日が窪のやかたにゐて、初夏の頃、この鳥の声をはじめてかしましきまでにきゝて、かの説の偽ならぬをしりぬ。げにホトヽギスとなくにきはまれり。さてふるくはあらねど、此鳥にかぎりて名のるとよめるも、おのが名をのりてすぎゆくよりいへること、またけちえむなり。そも/\この鳥は、はつかなる一声をだに、夢かとのみたどらるゝほど耳とほきものなればこそ、むかしより賞翫もことなれ。それゆゑにホトヽギスと名のりなどいふまで聞わくべきやは。たゞ一声の音いろのみにて、有明の月に打むかへるなむよのならはしなる。さるを朝よりゆふかけて、夜はさらなりなくをも見むとて、やをらうかゞへば、おほきさ鳩ほどもありて、鼠色にてやせたり。画工などの小さくかくは、いつも雲ゐはるかに飛ゆくさまならではみざれば、燕などやうのものゝ如くにはおもへり。またいふ鶯のかひこの中のほとゝぎすといふこと、万葉集にもあれど、いまの鶯の巣にて、そだつべきものにあらず。郭公の巣に鶯のそだつ事はあるべし。いぶかしきことなり。鶯といふものも、西土の鶯とはことなるよしなれば、いまの鶯と、又いにしへの鶯ともかはりたるにや。

ホトトギス(日本語の語源説)
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西田直養『筱舎漫筆』巻五「闕字弁」

屋代翁の説に、皇国にては文書に闕字の例なし。近来漢文にならひて、闕字にするは和学者の杜撰なり。また文書の末に、序跋などに年号をかき名をかくに、別にはなしてかくこと古例なし。古今集の序を始として、代々の勅撰すべて、本文とかきつゞけなりとあり。いにし年、江戸にてきゝしをいまおもひ出しぬればものしつ。


西田直養『筱舎漫筆』巻五「古本の点」
posted by 国語学者 at 02:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語生活史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西田直養『筱舎漫筆』巻五「古本の点」

ある古写本を見たりしに、主上の御事を上と申奉る処に、上の字の傍に一と点をつけたり。こはうへと上声に申奉るべきしるし也。一の点のなきをば一にて、すべて平声にてよめとの事なり。かゝる事こそ皇国の第一とすべきことなれ。因にいふ。漢文にては、闕字にすることもつぱらなれど、皇国にては、和文といふものに、闕字にしたることなし。それを近世漢風にならひ、和文体にもいはまくもかしこかれど天皇の云々と、文字をあけたるあるはわろし。又序跋などに、年号を本文にはなしてかき、又姓名を別にかくことなきことなり。漢文にも、彼土にてかゝぬごとくぞ。いつのころよりかくかきしにや。
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西田直養『筱舎漫筆』巻五「人の名」

いにしへより、人の名に熟字もてつけたるあり。春道列桜、大江千里などいくらもあり。かゝる名は和漢にわたりていとめでたけれど、貫之、敏行などいへるは、字音もて唱へなば、聖語の味もをかしかるぺけれど、つらゆきといひては、つらとは列なる事か。又類かにて、ゆきとは雪か。行かにて、列行といひても、頬雪といひても義あらず。又としとは、年又敏をもよめれど、是又ことわりなし。かゝる名ことにおほし。聖賢の金言もて名づくるなどは、なほ字音もて唱へまほし。
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西田直養『筱舎漫筆』巻五「真木」

江戸の方言に、薪のことをまきといふ。ふるくよりも、只木のことを、まきといふを、こは奈良のあたりのことにて、後にはいはぬかとおもへば、玉葉集に、後鳥羽院宮内卿とて歌出たり。
  杣人のとらぬまきさへ流るめりにふの河原の五月雨のころ
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西田直養『筱舎漫筆』巻四「今の俗語におなじき古言」

ちとゝいふ詞、うつぼ嵯峨院の巻にみえ、または今物語、秋夜長などにもいでたるを、すぺていまいふちとのつかひざまなり。おのれといひて、人をおとしめいふこと、宇治拾遺にあり。又宇津ぼに、尾の二てんといふこともあり。いまいふ詞の、おもひのほか、ふるくよりいへるがおほし。いま貴人の何事にても物することをあそばすといふ。是もうつぼ吹上に、やまとうたあそばすとあり。又御ごあそばすとも出たり【祭使】。いま夜とぎなどに物くはするを目さましといふ。是もうつぼに、よゐのひと%\目さましにたまふとて云々あり。口いれといふことは住吉にあり。色ごとの煤婦にいへり。耳よりといふもあり。大和物語に、つゝみに物などいれて云々などもあり。つゝみといふは、物をつゝむものにて、此詞はふかくてよし。さるをふろしきつゝみといふは、慶長の頃の画にもあり。ふるくよりいまもしく風呂場のあがり口にしくあり。それにて物をつゝみたるなり。この風呂しきの名は、後にてたゞつゝみといふは、大和物語也。また増鏡に、浅原の為頼が内裏に狼藉せし時、御門はいづくにおかるぞととひしことあり。此詞もふるし。水鏡にうかひといふことあり。〔割註〕節用集、御字本宗因記鵜飼、かねをばつくといふにかぎりたるやうにおもひしを、水鏡に、鐘をうつとあり。又からだのことを五体といふは、後の事かとおもひしを、秋の夜長に、五たいを地になげていのるといふことあり。同書に、書院の窓よりふみをいれたること。あり。いまの書院床のやうなり。いにしへは書文几といへるを、書院のまどともいひしにや。同書に、その坊主といふことあり。これは坊のぬしといふことにて、いまいふ体語にあらず。同書梅若の勢田にて入水の所に、ちかき鳥辺野にて云々とありて、火葬せしことあり。火葬場をばやがて只鳥辺野としもいひしなるべし。今物語に、あるじはあるきたかへてといふことあり。いまいふ留守なり。よき詞なり。同書にかはゆき事といふ事あり。いまむごいといふ意なり。可愛の心にあらず。又同書に色なほしゝてといふことあり。いまの心とおなじ、宇治拾遺に、横座とあり。いまも田舎などにて客座をよこ座といふ。〔割註〕いるりの横也。」同書に、物くひしたゝめてとあり。いまも物くふことをしたゝめといふ。同書に、勿体なし云々。博打の打ほゝけ云々。又清水に千度参りといふこともあり。いま専ら御千度とてするもふるし。又河にさぶりといる。又づぶりと云々など、いまいふ詞とおなじ。かやうの類あげてかぞへがたし。物みる度にぬき出すべし。浜松中納言物語に、ひとをさしておまへといへり。西行物語に、あいさつといふことあり。又堤中納言に、前夜といふ事をゆふべとあり。又枕草紙に、さいまへるといふことあり。衣の事をきものとは古旨にいへど、きるものとは後かとおもへば、はやくうつぼに出たり。猶おひ\/かきのすべし。
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2005年04月18日

西田直養『筱舎漫筆』巻十四「フテウ詞」

雲介にいはゆるフテウ詞を問ふ。百のことを万石、二百のことを地場、三百のことを暗介《ヤミスケ》、四百のことを□□、五百のことを玄古、六百のことを正六、極て此ことのもとあるべし。
posted by 国語学者 at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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