2005年10月29日

『福井県方言集』昭和六年

緒言
一、
本書は福井縣下に現在行はれてゐる方言を蒐集して、五十音の順に排列整理したものである、蒐集については主として本校生徒の手を煩はし、各自出身の郡市に行はれてゐるものについて、それに該當する標準語又は其の意味を併記して提出させ、それ等の言語的説明や排列整理編纂といつた様な仕事は、教師が之に當つたのである。
二、
本研究に於て使用する方言の意味は、或る地方に現に行はれてゐる言語の中から標準語を除いたものをいふので、その標準語が首府東京の教養ある中流社會に現在行はれてゐる言語を意味する事はいふまでもない。随つて方言とは其の言語の語形・語音・語義・語法等の点において標準語と異つた所の有るものに名づけた名稱である。世間でよく方言訛語と並べていつてゐるけれども、此の意味からは訛語も方言中に入れて差支ないのである。標準語の「菓子」を本縣で「アンマ」といふのは、形・音・義共に異つてゐるので實に目立つた方言といはねばならぬ、標準語の「預つて下さい」を本縣で「預けて下さい」といふは、語法上の誤りで矢張り方言である。又「電気」を「れんき」といふのは語音の不正で所謂訛語の中に數へられてゐるので方言とすべきである、或は「完全」といふ意味に「塩梅」の語を用ひるのは、語義上一般に通じないから無論方言といふ外はないのである、それから又如何に雅言であり、昔立派に通用した所謂古語であつても現代の標準語として生命の無いものは、地方に活きてゐても方言中に入れることににした、小児語といへども片言隻句でない限り、標準語のそれと異れば同じく方言中に包含せしめたのである。
三、
分布の上から見ると、本縣の方言は本州中部方言中の北陸方言と本州西部方言中の近畿方言との兩方に誇り、而も若干相交錯してゐる状態に在るので、研究といふ点からいふと随分貴重な資料を提供してくれてゐるし、極めて興味深く從事が出來る譯である。數年乃至十數年間も繼續的にこつ/\と研究の歩武を進めて行くならば、必ずや相当なものが出来上ることであらう。併し乍ら本校が郷土研究の一部として行ふ所の方言研究は、國語の改善統一の爲に行ふべき方言の矯正に直接役立たせることを當面主要な目的としてゐるので、大成の期を待つて始めて發表するといふことなく、大成に向ふ過程中の一纏り/\を示す必要がある。そこで差當り本書の上梓を見るに及んだ次第である。内容としては蒐集した方言にアクセントを附し、それに該當する標準語又はその意味を併記しそれ等方言の分布を明かにし、簡單な言語的説明が試みてある。一方又方言の語形式即ち語法の一端をも窺ひ得る爲に、方言を含む語句を郡市別に擧げて、それに該當する標準語が併記してある。
四、
斯様にして不十分乍ら出来上つた本冊子は、之を本校生徒各自に配布携帯せしめて學習研究の活資料に充てる外、縣下の初等教育者諸氏にも頒つて是正を乞ひ、教育上の参考にも供したいと思ふ。向後生徒諸子の繼續的な研究調査と教育實際家諸彦の示教とによつて、之に訂正を加へ増補を行つて、出来得べくんばさゝやかな方言辭典の編纂にまで漕ぎ付け度い冀望を有するものである。
昭和六年七月
福井縣福井師範學校


凡例
一、
方言は成るべく表音的に片假名を以て記すことにした。琉球方言の如く假名を以てしては殆ど表はし得られぬ音は少いにしても、假名を以てしては矢張不十分なものがないでもない。五十音の順になつてゐるとはいひ乍ら「は」と「ば」「ぱ」を同一塲所におく様にして單純化することにした。
二、
方言は単語を主としたけれど、便宜上、句の形になつたものも採ることにした、右傍に附けた線はアクセント符で、複線は単線よりも比較的高いことを示す。
三、
その方言に該當する標準語が無いものは其の意味を記すことにした。
四、
方言の言語的説明は平易を旨として語源にも觸れることにした。
五、
方言の分布の所は郡市別として普通唱へてゐる順序に從つて正しく掲げる事にした。それが自づと若越の二國に分れてゐるから好都合である。但、郡市を分布の單位としてゐるもの、其の郡市の全地域に行はれてゐると限つてはゐない。尚、郡市名は略號を用ひて福井市は福、足羽郡は足、吉田郡は吉、坂井郡は坂、大野郡は野、今立郡は今、丹生郡は丹、南條郡は南、敦賀郡は敦、三方郡は三、遠敷郡は遠、大飯郡は飯を以て表はすことにした。
六、
巻尾に方言を含む相當長い文句を掲げたのは、併記の標準語と對照することによつて、方言語法の一端を知り得るに好都合だと考へたからである。
七、
訂正増補の方法としては各自において訂正は誤りと思はれる個所は全部に亘つて之を行ひ、増補の方は単語なり文句なりを前例に倣つて餘白に追加すること、それを或る時期に全部學校の方で集めて、綜合整理の上増訂版として復、印刷に附する積りである。
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posted by 国語学者 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 方言集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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