2005年06月19日

太宰春台「倭楷正訛」

wakaiseika.pdf
(国語学大系)
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2005年03月27日

里見トン「手紙」

歩いたところでタント面白いこともない」(中略)「タント」と片仮名で書くのは一寸感じが出る。



(明治文学全集P201)
里見
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2005年03月22日

『明治事物起原』地理部「外国地名の当て字」

 台湾の古名、『唐土歴代沿革図』に「塔葛沙古《タカサゴ》」、『台湾鄭氏記事』に「塔加沙古」とあり。本邦の文書に「高砂」と記す。外国地名に和訓字を当てるは、邦人に読みやすく、かつ字数を節約し得る利益あり。

 万延元年作、桂園森田行の『航米雑詩』に、

  軋鬚碧眼|花間《パナマ》宰、脱v帽屈v腰搓v手待、鉄路四十又七里、分明画破東西海。

その註に、「花間は即ち巴納麻《パナマ》、邦音ニ因テ之ヲ填メ、以テ声調ヲ叶ハシム」とあり、こ

れ、自注のとほり、詩の平仄の関係上、江戸を江都と書きし類に過ぎざるも、洋音訓訳の魁なり。

 福沢諭吉は、世界の地名を記すに、和訓字をもつてするを便とし、その著『世界国尽』の凡例中に、「西洋の地名・人名等は、勉めて日本人に分り易きを用ふるやうにせり」とて、満落加《マラツカ》・荒火屋《アラビヤ》など出し、古来の翻訳者の、唐音の漢訳字を襲用する旧習を踏まず。これが、和訓音訳の中興開山といふべし。

 明治八年新刊永峰秀樹訳『アラビヤンナイト』の題を、『暴夜物語』とせしも、その影響なるべし。
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2005年03月12日

いろは文字(斎藤彦麻呂『傍廂』)

書史会要《しよしくわいえう》にいはく、日本国於2宋景徳三年1。嘗有v僧入貢。不v通2華言1。善2筆札1。命以牘対、名寂昭。彼国自国字母僅四十七。能通識之便可v解2音義1。この景徳と云ふは、外戎の宋《そう》の真宗《しんそう》が年号にて、一条天皇《いちでうてんわう》の寛弘三年にあたれり。そのかみは小児の手習の初めには、難波津《なにはづ》、浅香山《あさかやま》の二首の歌を手本としたるよしは、古今集序《こぎんしふじよ》にも、源氏物語にもありて、人のしる所なれど、二首にて六十余字ありて、同字数多あるうへに、五十|韻《いん》にもれたるもあまたあれば、後に色は匂へど云々の今様《いまやう》めきたる長歌《ながうた》が、同字なければ、いつとなく、是を手習の始にはせしなるべし。いうえの三字なけれど、同字一わたりある故に略《はぶ》きたるなり。又、五七言のしらべをとゝのへん為にもあるべし。三句目|一言《いちごん》たらねども、こはやむことを得ざるなり。その字体も、いと略《はぶ》き過《すぎ》たるなれば、異様にみゆれど、楷書の草手《さうしゆ》の略なれば、こと物にあらず。楷書の略なる事は、外戎人の目には、よくみゆべきを、日本の国字《こくじ》といひしは、いぶかしき事なり。
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文字は右行か左行か(明治事物起源 第八)

 東京の中にて、代表的の中心地帯、日本橋の南詰にある両銀行、隣りあひながら、一つは左より読み、一つは右より読む額看板を掲げおけり。

 隣同士ならまだよしとして、省線山ノ手電車内に、右読みの禁煙、左読みの山手、両掲示を出せしを見たりし。(現在は、両掲示とも、右読みに改まりてあり)

 右行左行の衝突は、和装の英和辞書などが、明治前に前哨戦を開始し、停車場ローマ字の駅名標示に、鉄道岡蒸気の開行頃より、主要戦を演じ、爾来七十年に近き小ぜりあひにて、つひに今日に至る。年の若き学生などには、右行左行、どちらが本式なるや、惑ふ者あり。
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片カナ交じりの漢文(明治事物起源 第八)

 文章平明を一代の信条とせる福沢先生だけありて、先生は漢文にまで、時代の洗礼を浴びせ、片カナ交じりの漢文をも出せり。万延元年に、先生の和訳されし『増訂華英通語』の巻頭に、漢文の凡例あり。福沢範子囲と、漢学者めきし署名も珍らし。その凡例漢文中、片カナを交じへしは、さらに珍にて、日本開闢以来、始めての新体漢文ならん。

  ウワ附2濁点1者ブバ与2ウワ1之間音也、

  ヌ字、要c急音与2上字1合b読之a稍近2於ン音1、而自有v別

 今日、世間、西洋音を書き現はすに、仮名字ヴワ゛を常用するは、ここに起因す。

 ただ解しがたきは、書物の凡例は、漢文に限るとの理由もなきに、何の必要ありて、凡例を漢文にせしか、先生の心事を聞きたかりし。
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2005年03月11日

和文に洋文の符号(明治事物起源 第七学術)

 清水卯三郎、明治七年の春、英人トーマス・テーの化学初歩を訳し、『ものわりのはしご』と名付けて小本三冊を発行せり。横山由清の序文に、横がきの洋文に用ひる符号を、縦がきの和文に用ひたれば、もつとも奇異なり。その一斑を左に抄出す。
いでやこのものわりのてびきのいとを,あしたゆふべにくりかへしまよふふしなくよみときて よくそのふかきこゝろをえよ,よのをみなわらべたち;これをこのふみのいとぐちとす よこやまのよしきよ.



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馬車《ばしや》・俥《じんりきしゃ》の文字の始め(明治事物起源 第七学術)

 人力車の三字を俥のあて字にてすます者あれども、その源は遠きことなり。明治五年十一月十四日の『日々』に、「方今文明の際、凡そ事簡易にして明解なるを貴ぶ、因て爾後馬車を〓と書し、人力車を俥と書し、文書往復すべし、文路の諸君それ之を記せよ。大簡堂主人誌」とあり。
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五十音中の奇字(明治事物起原 第七学術)

 著者が寺子屋より、新設の小学校に転学せしは、明治七年なりと思ふ。新入の初等八級生として所要の数科書を一冊買へり。本の名は、いま記憶になきも、喜びてこれを自宅に持ち帰り、一枚を開き見て驚けり。いままでに習ひし、いろはにあらずして、片かなの五十韻なり。そして、そのヤ行には、見なれざる字あり、これはたしかに本が違ひ、文字が逆さになつてゐるものと速断し、早速さきの本屋に往き、「この本は、字が逆になつてゐるから、取り換へて下さい」とかけ合へり。本屋は、他の本をあらため、「どの本もさうだから、違つてはゐません」といふ。内気なりし予は、顔を赤らめ、しかたなく、さきの本を持ちて、すごすご帰りしことあり。この字は、当時師範学校編輯下等八級生用書にありしだけにて、その後今日まで、この字を実用せしを見聞せず。

 明治七年に買ひたる入門書は失ひたれば、その書名は、いまは明らかならず、だが、幸ひに明治七年刊『小学教授法』土方幸勝輯録にも、同種の五十韻あり。

 近日、榊原芳野編次の小学読本巻之一を閲せしに、その例言中に、「五十韻中也行のイエ和行のウは、古より別用せず、故にこれを省く」とあり。奇字に関係する記事を始めて見とめしものなり。



【参考】
石山茂利夫『国語辞書事件簿』草思社 2004.11.29 p14-15 冒頭より「片かなの五十韻なり」まで。「数科書」に「ママ」を付す。
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ウの洋字(明治事物起源 第七学術)

 ウの音を現はす英字は、慶応三年版の|平文《ヘボン》の辞書を始め、みなU字を当てること普通なるが、坊問の俗書、地本級の俗書、明治四年刊『支那西洋国字どゝ一』には、TA KE WO KA I TA RU BI YO OO BU NO OO RA WA《たけをかいたるびようぶのうらわ》のごとく、うをOOで現はせるものあり。
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2005年03月05日

古事類苑 文學部 一 文字

名稱

偏傍 點畫

重點

上古無文字

神代字

肥人書 薩人書

新字

眞名萬葉假名

假名

和字

男手 女手

片假名

平假名 伊呂波京字

假名手本



我國上古文字なし、應神天皇の朝に始て漢字を傳へて之を用ヰる、或は云ふ、神代より文字ありと、天武天皇の時に、新字四十卷を作る、杣辻の如きは當時の作なりと云ふ、是より後に假名起る、假名には片假名あり。平假名あり、片假名は多くは.楷書の偏旁を取りたるものにて、古昔は其體一樣ならざりしが、後世に至り殆ど画一の體となれり、平假名は多くは草書の體の壊れたるものにて、古は之を草假名と云ふ、又伊呂波假名と云ふは、此を以て伊呂波歌を寫すが故なり、さて此仮名は初より片假名の如く許多の體はあらざれども後世まで反て画一なるに至らず、又真假名あり、上世より起りしものにて、眞草を擇ばず、漢字の體を成し其字の音、或は訓を借り用ゐるなり、是を万葉仮名と云ふは、萬葉集に用ゐたる故なり、而して真名と云ふは、漢字を総稱するものにて、正用と借用とを簡ばず、さて彼の伊呂波歌は、世に傳へて空海の作とす、今書籍上に此歌の事の見えたるは、河海抄に江談を引きて、源信の講説を擧げたるより古きはなし、其事は一條天皇の比の事なるべし、尚ほ音韻篇五十音圖條に、片假名の事あり。參照すべし

(原文片仮名)
posted by 国語学者 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 表記史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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