2005年02月26日

〔二中暦[十二訳言]〕反音

五音【手以アタナカマサラハヤツ為次

   心以アカタラサハマツマヤ為次】

アイウエヲ カキクケコ サシスセソ タチツテト ラリ□□ ナニヌベノ ヤイユエヨ

 ワヰウヱオ ハヒフヘホ マミムメ□



古事類苑 文学部二音韻 五十音)





【参考文献】

佐藤誠実「五十音考」
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2005年02月24日

〔経済録[九制度]〕

近世の俗に名に吉凶有りと云て韻鏡にて反切することを貴ぶ。是に由て反切して吉なる字を擇ぶ故に人の名同じ士庶は衆多なれば同名多きこと云に足らず。諸侯は海内に三百人には過ざる数の内に同名有り。且吉凶を云に因て一生の間に幾度も名を改むる者多し。常に称する仮の官名を改るには君上に請て許を得て改む。名を改るには請ふことも無く自由に幾度も改む。是如何なる惑ひぞや。愚昧の至り、義理に背けること也。願くは上より令を出して韻鏡にて反切することと随意に名を改ることとを厳禁せらるべし。名を反切することは異国は勿論也、日本にても七八十年来のこと也。是義理を害し人を愚にする大悪俗也。此事を禁ぜられば天下の大幸ならん上に云る如く名を通行する風起らば人々自然に同名を避んとすべし。韻鏡にて反切する事を禁ぜられば名に用る字広くなりて遠き字をも取べき故に同名少かるべし。然れば名を行ふ事を令せられんには反切する事を必禁止せらるべし。





(古事類苑・文学部二音韻・反切)
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〔磨光韻鏡[下]〕翻切門法

古人制翻切音釋文字今正之韻圖則或音和或類隔其門法不一按、古法者爲二曰雙聲曰疊韻也、蓋古時未制韻圖故論翻切亦自簡耳後世韻學漸密論翻切亦自分而區矣。玉篇指南立四目切韻指掌立十一例切韻指南有二十門。李嘉紹横圖云、以四例該等韻十三門本邦諸家以十二例爲六對互有異名故其名同而事異者亦有之今竊折衷諸家而爲八門八門約之爲二曰音和曰類隔也、音和之屬更分五曰雙聲曰疊韻曰廣通曰偏狹曰憑切也、五者雖不同共不差切母是以爲音和之屬也、類隔之屬一曰徃還也、又更有寄聲與寄韻而渉音和類隔也、古人之制翻切也、或依郷音我以疎密而爲異所以諸韻書所載一字之翻切有異同也、而今正之韻圖則不同軌是以後人立諸例也。未有始立諸例而制翻切也、如新制翻切則須以音和爲法曷煩用餘例爲若夫本邦翻切名諱而據類隔徃來等例覓字則鹵奔不可言也、曰然則古人何據類隔乎謂或仍其郷音而自弗覺類隔也、且如我和音則雖輕重爲類隔歸音如一故弗覺其非古人郷音蓋類此若正之杭州音則輕重判然歸音不協所以爲類隔也、如編字廣韻方典切則方分蕃フエン銑韻無此音韻會更爲補典切則補賓邉〓(心扁)爲之正音故以方典切稱類隔以補典切稱音和也、如和音則歸音無二故制翻切者自誤古人之翻切有類隔者亦如此夫





(古事類苑・文学部二音韻・反切)
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〔韻鑑古義標註[補遺]〕韻鑑古義傳授之辨

或有問於予曰、韻鑑曷爲而作耶予應之曰、大凡諸氏百家之書籍の中に、文字の義理のまぎらはしき處を讀たがわすまじとて、反切と云ものをそれ%\に付置ぬ、其反切の音のいかんを導が、韻鏡の所詮なり、蓋反切は、何の世何人がこしらへたるぞと尋に、魏祕書即孫叔然を始とす、厥説顏氏家訓、又唐張守節史記正義、或困學紀聞の内に載て炳然なり、總じて反切音と云ものは、和邦に所謂文字の假名つけとしるべし、又中華に孫叔然以前にも、文字に假名つけしたることあり、其は反音とはいわず、譬況、假借と云て、證字音たり、其例は、漢劉熈が釋名に、所謂日實也、月缺也之類なり、故曰、釋名、白虎通、依聲寓義と云り、然に此比況、假借のかなつけ音は、固聖經賢傳の語に原り、既中庸曰、仁者人也、義者宜也と云り、仁字音人而、仁の字義を云、又義の字音宜而、義の字訓を云、又易言乾健也、坎陷也、離麗也、晉進也之類、かず/\此格式あるは、皆上代はかなつけ音を以、直に其字の義理を訓たるもの也、然に我邦近代の儒家、聖賢の説を講ずるとき、此訣をつくさぬは殘念なり、是固韻學にうときいわれ也、さりながら世上流布の名乘切をかたる韻鏡は、無益の學問なり、古義正統の韻鏡によつて學ときは、書を讀時に、人しらぬ意味を校得なり【○中略】蓋予所傳授之韻學の主意如此、博雅君子更可補闕

 享保丙辰秋 漣窩 河野通清 書



(古事類苑・文学部二音韻・反切)
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〔文会雑記[三上]〕一方以智が

方以智が通雅、随分声にて通ずる事などをば、能くせんぎせり、【○中略】韻鏡は、悉曇の為にこしらへたるもの也、外国の二合三合の音にて、合せて一音とす、たとへば観世音と云ふとき、三字なれ共一字にて済[む]様にする、是外国音切の字也、外国は音切の学盛なる故、中国の清音をば、せまじき事として、韻鏡と云もの出来たり、字音をくはしく吟味する梅誕生などが如き人は、入用の事もあるべし、日本人の韻鏡のせんぎ、誠にをかしき事也、今は名乗字をかへす為の入用に成たるは、俗なる事論にも及ばぬ事也、但二字を一字にするなど、中華にもある事也、盧充幽婚の事に、温休休温の二字をかへして、幽婚になると云事、小説に見えたれば、今の名乗字をかへすに似たる事もある事にはある也と、老師《服部南郭》の説也、


(古事類苑・文学部二音韻・反切)
日本随筆大成旧1-7,p640
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〔作文大体〕第八翻音

凡文字必有反音反音必有二字故略頌云、平上去入依下字軽重清濁依上字1所謂平聲之輕者東也。重者同也、入整之輕者徳也、重者得也、皆依翻音、上去字得其輕重清濁之義也、爰只擧不入二聲者、上聲重者渉一於去聲去聲輕者渉於上聲遞難分別之故也、亦有入聲弾用平聲矣、



(古事類苑・文学部二音韻・反切)
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〔和字大観鈔[上]〕五十字文

片假字のはじめ五音の差別によりて。五十字文を作れり。五音とは喉牙歯舌唇の次第なり。是日本音韻の国なり。亦仮名反の圖とも云。吉備公の作なりと云。又或説に百済の尼法明。對馬の国に来り。此圖を作り。国人に傳ふ。故に對馬以呂波と云よしいへり。おぼつかなし。



『古事類苑』文学部二音韻・五十音図)
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〔磨光韻鏡[上]〕磨光韻鏡序

磨光韻鏡序

夫人言有自然之音韻焉古人任其自然罕有訛舛蓋夷蠻戎狄言語各殊待譯而通中國則受先王同律同文之治而其言自然正所以古人未有精覈音韻者也自秦漢以降中國之人遷徙無常加以四夷雜居於中國至於兩晉之際天下之人殆乎華夷相半於是中國自然之音厠池侏離遂致有古今音不同此韻學之所以作也晉孫炎始作反音梁沈約始分四聲立二百六韻後有釋神コ者不知何代人著切韻圖載在玉篇卷末此數者蓋韻學之權輿也至於韻鏡不詳何人所作宋季以來行於世其制以四聲爲經七音爲緯先儒以爲梵僧傳之後之考者以爲得其實蓋四聲之名起於沈約而七音之説則出於浮屠氏以七音與四聲縱横布置以定人言自然之音韻此浮屠治悉曇者正梵音之法也今韻鏡以悉曇家法施諸中國字音固非中國素所有也然是法精微可以正音韻可以辨華夷韻學之書似此者後先出而互有得失然要其簡明者莫若韻鏡是以後之言音韻者取正焉云我日本近世之人亦頗有好韻鏡者自釋宥朔開匳以下爲之解者亦多不知幾家然其人皆不學華音徒以方俗訛音言之呼三十六母尚不能辨其五音清濁況其餘乎夫不解華音而治韻鏡猶無耒耜而耕不能一發也故其為説也雖詳而有遺雖精而多詭均之歸於不濟用而已故欲治韻鏡者先須學華音學華音而習之然後四聲可明也七音可辨也内外開合凡百呼法悉可分別也夫然後可以講韻學也嗟乎今之治韻鏡者徒知反切之法而不知所以反切亦安知韻鏡之所以爲韻鏡哉此無他不學華音故也唯吾所善文雄師則不然雄師者平安人也少遊學於関東嘗從予問文字予時有以告之師好華音又好韻學西歸之後濳心於韻學十有餘年自言如有得焉乃恨先輩治韻鏡者皆有所未盡且不知韻鏡之用遂有所發明而著書數編今茲其徒請刻其磨光韻鏡者於是詒予書寄示其所著而問序(純)嘉師之有力於韻學故敍其大綱以贈之如其著述之旨與考覈之動則觀者知之

 延享元年甲子六月辛未 信陽 太宰純序
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〔新増韻鏡易解大全[一]〕韻鏡易解起

韻鏡易解起

夫四聲七音之起矣、決悉曇源、通之於漢地、汲立韻流、注之於扶桑1、爰以至如軽清重濁辨、竪聲横韻法在梵書則別號悉曇転漢字則総名韻策其具足之以盡美盡善者、是惟韻鏡書乎學者欲必通音韻妙應須以於此書遠達乎鳥語、決斃清溪之死、近讀乎書籍除載酒肴之労、故張先生曰、此書其來也遠、其用也博矣、蓋顯此意乎、不肖之壽二十有一、天和癸亥秋。侍坐阿遮梨法印光榮師、創學梵漢字韻法、懇傳此書幽〓、雖時々習之。欲數々熟之。天性魯鈍而未曽甘其美味1焉、然去元祿庚午春、遇淡交誘引発揮其梗概講説玄微、皆是我師口授也、於于此同志為善余言告曰、録前講述於簡牘、助初入學矣。予報曰。淺識寡聞、豈得容易記焉乎、雖設敢記焉、誰信用之哉、固辭及再三不得竟止、卒爾含毫勒成四巻、未令冠題目、各競寫去焉、於是有洛東隠士老翁井氏宗咸、善通音律、寥徹韻學才名自流擧世許容焉。一日抜〓此草書投、嘆告其息曰、凡此解説者、言詳悉而直示其義、品繁多而大盡其要、能有信受之者、設童蒙頑愚、使音韻妙獲易解焉。請称題乎易解、命剞ケツ氏廣布遐迩矣。余又難強辭之、為書林所奪。繍梓以行于世以彼隠士語、以號韻鏡易解、又當其仁記之引於其端、唯戦越所恐多一旬々失、伏乞明哲必訂考焉云爾。元禄四稔歳次辛未菊月穀旦。武陽鴻巣密乗沙門盛典恭魍題、
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〔本邦古版目録〕一韻鏡

一韻鏡 一冊

韻鏡之書行於本邦久而未有刊者故轉寫之訛烏而焉焉而馬覽者多困彼此不一泉南宗仲論師偶訂諸本善不善者且從且改因命工鏤板期其歸一以便於覽者且曰非敢擴之天下聊備家訓而已於戲今日家書乃天下書也學者思旃

享祿戊子孟冬初一日 正三位行侍從臣清原朝臣宣賢



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〔韻鏡開奩[六]〕上來

上來已解韻鏡之義畢、於2其中1有2秘傳1者別為2一卷口決。故今略之。自此已下、解九弄一張圖、以為韻鏡反音潤色矣、抑神コウ五音九弄反紐圖者、載于玉篇巻首1、然行於當世之玉篇、於彼圖内有新刊之謬甚者1、今解九弄之次、取神コウ意在改玉篇新本之訛、是〓非愚見之所致、偏據信範弘安所著之秘釋、校合其正與不正而已、童蒙、若披慈覺將來之圖、對神コウ所作之圖、比之推之自常無不的中矣。



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〔韻鑑〕本云

本云

茲序例、下河原宮新門主【○後柏原皇子道喜】御筆也、僕【○菅原和長】韻鏡一部新造、仍為被助老染被下尊翰畢家

珍不v過v之矣、

抑今渡新造之日、序與四十三轉。分一冊為二策所以者何、序文講釋之時、四十三轉中所々欲述其

義以2一冊作巻舒尤有煩、故別為二冊也後人亦若令講釋者、可有同懐之感者乎、

  予部類検鈔事

 一大珍鈔者

 盧山十世祖大用上人、以韻鏡一部悉七種反音於毎字被註表、據之改正舊本之誤畢、

一字母格者

 五音集韻所編之字皆任三十六字母四聲悉如韻鏡立行位者也、故以彼韻又改正舊本之誤耳、

一字鏡鈔者

 奮本就所誤之字大用上人七種反音注解之日、暫有疑貽之字成甲乙丙丁四部、少々董決之仍應

 韻鏡稱字鑑矣、

一朱圍者

 新本有朱圍之字、予甫就也。或雖在鏡中切韻之時、不可採用、或行位猶未決之字、或雖有誤、其字輒

 不可刪之字等交作朱圍也、以闕疑之義不可取耳、

一序説上下

 以序文講演之便成上下巻兼注鏡中之深旨訖、

 朱書又大永八年【享禄元年】五月 日列圍字記一冊新述畢、

  大永六年九月 日                五更老襦菅和長【六十七歳】

 證本奥書云

  應安四年晩夏之比乎、自書寫校合訖。

  以證本猶可令添削之於序者。以榎並居士宗景自點本慥校點畢、後生知之而已。

                      四明比丘権僧正實厳記【生年卅四歳】

 朱書同七月下旬、借請榎並居士添刊本、慥校合、所違朱字是也。可謂證本乎、

  此書同七年九月廿三日、對植並居士諮受、披講注記大概畢、幸哉云々、

   同聴真理道明両人也

     已上正筆之奧書。一字不違寫之訖。

大永七年四月下旬。以彼自筆正本予新造之本一々校合、元來古本之所誤。改正之後令新造之間。

無大異違者也、爰榎並宗景居士者。於韻鏡説1為2一代之名匠以五音。作一紙之口訣、授檀那院賞厳

僧正、〓勝白傳二百丁者是也、彼僧正亦為悉曇之名匠、其後大用上人追二賢之蹤而可謂道之達

人1然則此新本亦不為本哉矣【序點之中、以v朱成合點分、則是此證本之點也、但可2用捨1也。】

五更舊儒和長書【中略】

 此韻鏡借東坊城前亜相和長卿本令寫之、於序者證本之同筆下河原新宮【號上乗院宮道喜當朝(後奈良)弟】被染

下尊翰1者也。再三命棲合加朱顯等荷不蹄證卒乎、

   大永八年仲夏日           中大夫倉部朋林郎藤言【生年廿二巌】

                              朱印黒印花押


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〔正長元年記〕常寂云

常寂【○藤原兼宣】云。改元字并名字、上古夏不及反音之沙汰論韻鏡渡胡以來有此沙汰止得一悪字之時争可用哉之由斟酌也、無形之時不及沙汰也。



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〔韻鑑古義標註[上]〕韻鑑本朝傳來舊記

韻鑑本朝傳來舊記云、皇和人王八十九世龜山院文永之間、南都轉經院律師始得韻鑑於唐本文庫焉、然不辨知有甚益、又同時有明了房信範、能達悉曇、掛錫於南京極樂院、閲此書而即加和點、自是韻鑑流行本邦也、又和刊書籍考卷十所載大意同之、又至後奈良院享祿元年、清原宣賢【號環翠轉】命剞ケツ氏始付梓、





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〔磨光韻鏡[下]〕韻鏡索隠 「韻鏡者蓋」

韻鏡者蓋唐晩之製乎、未詳其人、鄭樵曰、梵僧欲以其教傳之天下、故爲此書、華僧從而定之、以三十六爲之母、張麟之曰、華僧蓋神コウ也、梅膺祚亦曰、釋神コウ繼以等韻、雄按、神コウ惟論五音、未知七音、豈韻鏡出於コウ手者乎、予有別論之、



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〔言継卿記〕天文十三年六月廿三日

天文十三年六月廿三日庚寅、高辻被申候韻鏡之潅頂之一紙遣之、則夕方被返了、



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〔文会雑記[一上]〕春台は

一春台は、殊の外に字彙を嗜好ありて、何にても字彙にて正されたり、ひたと字彙を出して、音をたゞされたり、韻学は殊に詳しかりしと也、

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〔傭字例〕傭字例序

石川君達備中笠岡人也来游余門一日手其兄關士常郎著傭字例一巻〓之余披閲之其於聲音國語假借用字之義経緯画堤悉得其節目引據典博辨論確核質而不陋信而有徴蓋邃韻學者也平維章東海談嘗謂州名邦訓武蔵安房信濃但馬因幡讃岐類為漢音變而不知其出五聲仮借〓灘字訓奈太之非而又不知假借用之因是書而究之則思過半矣

  丙申【○天保七年】孟春之月  匠里依田利用撰



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〔古学小伝[下]〕黒河春村

黒河春村は、号を薄斎、通称を次郎左衛門と云、後求水と呼べり、江戸浅草の人なり、[○中略]翁の学は、凡よそ鈴屋翁によられしが、神代のことなど、彼此とこちたく言は、却てなめげなりとていはれず、惟音韻のことは[詞の栞若干巻あり、外にも詞のことをかかれしもの数部あり、最得意なればなり]漢字三音考のあまりに粗略なるををしまれ、音韻考証と云書をあらはさる、又万葉略解の遺漏の多きをなげかれ、万葉墨水抄と云書をあらはされしが、未成にてをはられたり、



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2005年02月20日

本居宣長『古事記伝』仮字

假字用格のこと、大かた天暦のころより以往の書どもは、みな正しくして、伊韋 延惠 於袁の音、又下に連れる、波比布閇本と、阿伊宇延於 和韋宇惠袁とのたぐひ、みだれ誤りたること一もなし、其はみな恒に口にいふ語の音に、差別ありけるから、物に書にも、おのづからその仮字の差別は有りけるなり、

【然るを、語の音は、古も差別はなかりしを、ただ假字のうへにて、書分たるのみなりと思ふは、いみじきひがことなり、もし語の音に差別なくば、何によりてかは、假字を書分ることのあらむ、そのかみ此書と彼書と、假字のたがへることなくして、みなおのづからに同じきを以ても、語音にもとより差別ありしことを知べし、

かくて中昔より、やうやくに右の音どもおの/\亂れて、一になれるから、物に書にも、その別なくなりて、一音に、二ともの假字ありて、其は無用なる如くになむなれりけるを、其後に京極中納言定家卿、歌書の假字づかひを定めらる、これより世にかなづかひといふこと始りき、

然れども、當時(ソノカミ)既く人の語音別らず、又古書にも依らずて、心もて定められつる故にその假字づがひは、古のさだまりとは、いたく異なり。

然るを其後の歌人の思へらくは、古は假字の差別なかりしを、たゞ彼卿なむ、始めて定め給へると思ふめり。

又近き世に至りては、たゞ音の輕重を以て辨ふべし、といふ説などもあれど、みな古を知らぬ妄言なり。

こゝに難波に契沖といひし僧ぞ、古書をよく考へて古の假字づかひの正しかりしことをば、始めて見得たりし、

凡て古學(イニシヘマナビ)の道は此僧よりぞ、かつ%\も開け初ける。

いとも/\有がたき功になむ有ける。】


かくて其正しき書どもの中に此記と書紀と萬葉集とは、殊に正しきを、其中にも、此記は又殊に正しきなり、

いでそのさまを委曲(ツバラカ)に云むには、まづ續紀より以來の書どもの假字は、清濁分れず、【濁音の所に、清音假字を用ひたるのみならず清音に濁音字をもまじへ用ひたり】

又音と訓とを雜へ用ひたるは、此記書紀萬葉は清濁を分てり、

【此記及書紀萬葉の假字、清濁を分てるにつきてなほ人の疑ふことあり、今つばらかに辨へむ、

そはまづ後世には濁る言を、古は清ていへるも多しと見えて、山の枕詞のあしひき、又宮人(ミヤヒト)などのヒ、嶋つ鳥家つ鳥などのトのたぐひ、古書どもには、いづれも/\清音の假字をのみ用ひて、濁音なるはなし、なほ此類多し、

又後世には清む言に、濁音の假字をのみ用ひたるも多し、

これらは、假字づかひのみだりなるにはあらず、古と後世と、言の清濁の變れるなれば、今の心をもて、ゆくりなく疑ふべきにあらず、

又そのほかに、言の首など、決めて清音なるべき處にも、濁音の假字を用ひたることも、いとまれ/\にはあるは、おのづからとりはづして誤れるもあるか、又後に寫し誤れるもあるべし、

されど此記には殊に此(ノ)(タガ)違ひはいと/\まれにして、惣(スベ)ての中にわづかに二十ばかりならでは見えざる、

其中に十ばかりは婆字なるを、その八は、一本には波と作れば、のこり二三の婆も、もとは波なりしことしられたり、

然れば、記中まさしく清濁の違へりと見ゆるは、たゞ十ばかりには過ずして、其餘幾百かある清濁は、みな正しく分れたるものに、いと/\まれなる方になづみて、なべてを疑ふべきことかは、

さて書紀は、此記に比ぶれば、清濁の違へることいと多し、こはいといふかしきことなり。

然れども又、全くこれを分(ワカ)たず、淆(マジヘ)用ひたるものにはあらず、凡(スベ)ては正しく分れたれば、かの後の全く混(マジヘ)用ひたる書どものなみにはあらず、

さて又萬葉は、此記に比(クラ)ぶれば、違へるところもやゝ多けれども、書紀に比(クラ)ぶれば、違ひはいと少(スクナ)くしてすべて清濁正しく用ひ分たるさまなり。

これらの差別に、その用ひたる假字どもを、一毎にあまねく考へ合せて、知べきことなり、

たゞ大よそに見ては、くはしきことは、知がたかるべきものぞ】


其中に萬葉の假字は、音訓まじはれるを、【但し萬葉の書法は、まさしき假字の例には云がたき事あり、なほ種々あやしき書ざま多ければなり】此記と書紀とは、音のみを取て、訓を用ひたるは一もなし、これぞ正しき假字なりける、【訓を取とは、木止三女井の類なり、此記と書紀には、かゝるたぐひの假字あることなし、書紀允恭御巻歌に、迹津二字あるは、共に寫し誤れるものなり、又苫字を多く用ひたる、是も苔を誤れるなり、こはタイの音の字なるを、トに用ひたる例は、廼をノに、廼をドに、耐をドに用ひたると同じ、此格他音にも多し、なほ書紀の假字、今本、字を誤り讀を誤れる多し、委くは別に論ひてむ】

然るに書紀は、漢音呉音をまじへ用ひ、又一字を三音四音にも、通はし用ひたる故に、いとまぎらはしくして、讀を誤ること常(ツネ)多きに、此記は、呉音をのみ取て、一も漢音を取らず、【帝をテに、禮をレに用るも、漢音のテイレイにはあらず、呉音のタイライなり、そは愛をエに、賣米をメに用ると同格なり、書紀にも、此格の假字あり、開(カイ)階(カイ)をケに、細(サイ)をセに、珮背をへに用ひたる是なり、さて用字は、呉音はユウにして、ヨウは漢音なるに、ヨの假字に用ひたるは、此字古は、呉音もヨウとせるにや、書紀にも萬葉にも、ヨの假字にのみ用ひて、ユに用ひたる例なし】

 又一字をば、唯一音に用ひて、二音三音に通はし用ひたることなし、【宜をギともよみ、用をユともよむたぐひは、みなひがことなり】又入聲字を用ひたることをさ/\無し、たゞオに意字を用ひたるは、入聲なり、【是は億字の偏を省きたるものなり、古は偏を省きて書例多し、此事傳十之巻呉公の下に委云べし、億憶なとをも、書紀にオの假字に用ひたり、又意字に億の音もあり、臆に通ふこともあれども、正音をおきて、傍音を取べきにあらず、たゞ億の偏を省ける物とすべし】

又いとまれに、シに色字、カに甲字、ブに服字を書ることあり、これらは由あり、そは必下に其韻の通音の連きたる處にあり、【色字は、人名に色許と連きたるにのみある、色の韻はキにして、許は其通音なり、甲字は、甲斐と連きたる言にのみ書る、甲の韻はフにして、斐は其通音なり、服字は、地名伊服岐とあるのみなる、服の韻はクにして、岐は其通音なり、おほかたこれらにても、古人の假字づかひの、いと厳なりしことをしるべし】此外吉備吉師の吉字あれども、國名又姓なれば、正しき假字の例とは、いさゝか異なり、【故に吉備も、歌には岐備とかけり、凡て歌と訓注とぞ、正しき假字の例には有ける】



さて又同音の中にも、其言に随ひて、用る假字異にして、各定まれること多くあり、其例をいはば、コの假字には、普く許古二字を用ひたる中に、子には古字をのみ書て、許を書ることなく、【彦壮士などのコも同じ】メの假字には、普く米賣二字を用ひたる中に、女には賣字をのみ書て、米字を書ることなく、【姫処女などのメも同じ】キには、伎岐紀を普く用ひたる中に、木城には紀をのみ書て、伎岐をかゝず、トには登斗刀を普く用ひたる中に、戸太問のトには、斗刀をのみ書て、登をかゝず、ミには美微を普く用ひたる中に、神のミ木草の實には、微をのみ書て、美を書ず、モには毛母を普く用ひたる中に、妹百雲などのモには、毛をのみ書て、母をかゝず、ヒには、比肥を普く用ひたる中に、火には肥をのみ書て、比をかゝず、生のヒには、斐をのみ書て、比肥をかゝず、ビには、備毘を用ひたる中に、彦姫のヒの濁には、毘をのみ書て、備を書ず、ケには、気祁を用ひたる中に、別のケには、氣をのみ書て、祁を書ず、辭のケリのケには、祁をのみ書て、気をかゝず、ギには、藝を普く用ひたるに、過祷のギには、疑字をのみ書て、藝を書ず、ソには曽蘇を用ひたる中に、虚空のソには、蘇をのみ書て、曾をかゝず、ヨには、余與用を用ひたる中に、自の意のヨには、用をのみ書て、余與をかゝず、ヌには、奴怒を普く用ひたる中に、野角忍篠楽など、後世はノといふヌには、怒をのみ書て、奴をかゝず、右は記中に同言の數処に出たるを試て、此彼挙たるのみなり、此類の定まり、なほ餘にも多かり、此は此記のみならず、書紀萬葉などの假字にも、此定まりほの%\見えたれど、其はいまだ偏(アマネ)くもえ験(コロ)ず、なほこまかに考ふべきことなり、然れども、此記の正しく精しきには及ばざるものぞ、抑此事は、人のいまだ得見顕さぬことなるを、己(オノレ)始て見得たるに、凡て古語を解(ト)く助(スケ)となること、いと多きぞかし、



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posted by 国語学者 at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 字音資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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