2005年04月01日

藤岡勝二「日本語の位置」1

 今日何か話せという御案内を受けましたについては、十分調ベあげたことをお話しするのが、至当であるのでございますけれども、ちょうど昨日住宅を変えましたので、総ての道具がごたごたしているごとく、頭の中の道具までごたついておりますから、あまり秩序だったお話は出来ないだろうと思います。しかしそれは引越しの結果と思して御勘弁を願います。さてかような題を掲げておきましたが、これは日本人として、すでにいろいろの人が今まで考えもし、またその解釈の一端を発表したことのある問題でございます。ですからこれについてのいろいろの説は、すでにお聞きおよびでしょうが、まず自分の専門としまする言語学の立場から見ましては、ほとんど傾向は極まっているのでございますーほとんと極まると今申しましたのは、立派な証拠があがって動かすベからさる論が立って一定してしまったのでなく、予定のきわめて漠然なものが出来ているということであります。さような意味でありますが、しかし種々の仮定はほぼ事実を指さんとしているごとくであります。また多くの反対説があるにもかかわらず、追々と或る一定の説に傾きつつあるのでありますから、まずほとんど一定していると申しておいて差しつかえなかろうと思います。

 御承知のとおり外国ではアンデルソンという人がウラルアルタイの言葉(すなわち西の端にはフィンランド語があり東の端にはわれわれの日本語があります、その広い範囲の語族)と、西洋のすなわちインドゲルマンの方の言葉とが同源であるということを言い出しました。それまでは余り十分の証明も出来ないで多くの人が想像をしておったのでありますが、アンデルソンが大分理屈を立てましてから、多くの学者がその方に耳を傾けるようになりました。もっともこの人は日本語のことをいってはおりませぬが、この二大語族の関係を密接なものと認めましたので、欧洲の学者が動いたのです。それで御承知のイギリスの言語学者音声学者であるスイートもやはりインドゲルマンはウラルアルタイと同一源ではあるまいか、少くともそれを否定することは出来ないように思うということを、明かに彼の人の著述『ヒストリーオヴ・ラングエージ』の上に書いております。私は幸いイギリスに参ることを得ましたから、この説を聞きたいと思いました。明治三六年の冬、オックスフォールドヘ往ってスイート先生に親しく会いました。その時、かの「ヒストリー」にお書きになった御説は今でも動きませぬかと尋ねました。動かないと思うが、せっかく日本の人が来られたのだから、それに反対の証明でもあるなら聴かしてもらいたいという注文でありました。けれどもあいにく私がそのスイートに会います時までもっておる知識では、ウラルアルタイ起源−ウラルアルタイとイントゲルマンとが一致するということについての論は、日本において誰も論ぜず、誰も考えていたかった、自分も精しく考えておらなかったものですから、満足な答をすることが出来ませんでした。それから第二段に移りまして、インドゲルマンの言葉とわれわれ種族の言葉との関係はさておいて、いわゆるウラルアルタイ語族中すなわちトルコとかシベリア地方の人種の言語とか朝鮮およびわれわれの言語とかの相互の関係はどうであるか、同起源説は成立つかということについて説を問われました。これは大分チョコチョコ学者が出て論じてはおりますが、私の答としては何分日本にはまだ十分なトルコ語の学者もおらず、十分なるシベリア種族の言語学者もおらぬので、その事について判断を与え得る知識がまだ具らないという答を致しました。要するにスイートから尋ねられたのに対しての私の答は、極めて不満足なるものでした。試験ならまず落第であったのです。ただし問者も知らないのですから、多少場合は違いましょう。ともかく当時の問答の或る部分はかような次第でした。

 またこれよりさき明治三五年の九月にブレスラウヘまいりました時に、そこでまず師範学校に似たような学校の教師をしておるヴィンクラーという人に遇いました。ヴィンクラーは別に大学の卒業生、いわゆるドクトルではないのですけれども、言語学にははなはだ篤学の人で、大分それ以前の著述について名も知られております。自分もこの入の本を日本で読んだこともあります。そこでその人を訪ねてまいったのです。この時この人に会うまでには、随分つまらぬ道行もし、滑稽なことも致しましたが、それはここでお話する限りでないから、それは赤毛布談の方へ譲っておきます。さて直接その人に会い得た上の話を致しますと、せっかく日本から来られたのだからして、私の処にある限りの書物は何でもかまわないから読め、ブレスラウに滞在するのは幾日間かとの問でした。私の考ではまず三日か四日しか滞在が出来ないと云う答をしましたら、そんなことでは往かぬから、もっと長くおれと云うことでありました。あいにく私はここで病気になりまして、滞在を延ばさざるを得ぬことになりましたけれども、すなわち三日以上に延びましたけれども、病気のために本を読むことが出来なかったから、はなはだ遺憾でしたが空しく過しました。やっと気分の快い日になりました時に、ちょうどヴィンクラーが私の宿ヘ尋ねて来てくれられまして、私の息子にも紹介したいから、どうぞ一日茶を飲みに来てくれということでありました。もう病気も癒る方に向っていましたから、明日あがりますと言って別れました。その翌日その人の宅へまいりまして、いろいろの書物を見せてもらいました。この人はハンガリーの言語学者と気脈を通じておって、ことにフィンノウグリヤンソサイチーといってそれはフィンランド語とハンガリー語とおよびその他の語との関係を研究する会の有力なる会員の一人であります。ですからフィンランドの言葉とかマジャールすなわちハンガリーの言葉などはよく知っております。いろいろそれについて教を請いました。話を致しました間に、日本のこともおれは知っているということでありましたから、それははなはだ仕合せです。それでは日本の語についてどういう御考がありますかと問いました。その答にわれわれの信じている範囲内においてはフィンランドとかハンガリーとかいう地方の言葉と日本語とは同一源と考えるという事でした。そこでいかなるものでその証明をされましたかと言ったら、『万葉集』で証明をしたということでございました、『万葉集』は何で御読みになりましたかと問いますと、ドイツの訳本があるからそれを見て大いに研究したといわれました。それだけですかと聞きますと、いやまだほかに『古今集』の秋の巻の訳があって、それも見た。それ等を調べて見ると、どうも自分がかつて仮定をしておった通りに、日本語の源がすなわち西の端におるハンガリーの言葉などと同一起源のように思われるという答でした。それからだんだん細かく入って、どこがどういう関係かということを一々尋ねましたところが、随分私には首肯し兼ねる点もありました。私はこの学者を悪しく言いたくないけれども、実際この人は音韻学には頭脳の乏しい人であるらしいので、音韻学が指し示す規則を破って言葉の関係を説かれていることが多いようです。これは少々案外に思ったことです。これは少しく困ったと思いましたので、疑問点を頭に置いて退いたわけであります。ところが先生はなかなか熱心で、また私の方へ訪ねて来て、いろいろなお聞きたいことがある。ことに日本現在の言葉等を聞きたいから、もっとおってくれということでありました。けれども当時私は北海からロシアを廻って来た帰り道に立寄ったものですから、身体がもう疲労しておりますし、まだハンガリーにも廻るつもりでありましたので、とてもゆっくりしていられませぬから、はなはだすまぬと思いながら辞する事にしました。この時、それなら日本へ往ってから読むように都合の好い本を貸してやろうというのでフィンランド語の文法、ハンガリー語の文法をくれました。新しい自分の著述でハンガリー人種の起源について書いたものを一冊付けて、それを贈ってくれました。ゆっくり読んでくれというのでそれだけの物を大変厚意を尽してくれられたのであります。

ヴィンクラーのしかたは、まことに城府を設けない有難いものであります。私は今にそれを喜んでおります。次はちょうどハンガリーヘまいる順になりましたから、ヴィンクラーの処を辞して直ぐハンガリーヘ入りました。ハンガリーヘ入っては、いろいろの学者に会いました。ハンガリーの言語学者にはことごとく会いました。ちょうどそれ以前に白鳥博士がハンガリーにおられたことがあるので、だんだん白鳥さんの話などから続いて来て、万事極めて心易く歓迎してくれました。これは自分の力ではないと思います。この諸学者の中には立派な音韻学者もおりますので、マジャールの言葉の音韻と、日本語の音韻とについての自分の質問などもそこで聞き、併せて研究法の教も得ました。

 かようなわけでこの方面の研究は欧洲にへありますが、なお進行中であるのであります。ことに日本語の位置ということになっては、まだまだ調べなければなりませぬ。欧洲の学者はハンガリーならハンガリー語を中心として見るのでありますから、我等はまた我等の語を中心として見ねばなりませぬ。それには他国人が及ばない便利を有しているのですから、是非共これは本邦学者の任務と心得て、かからねばなりませぬ。

 さて本国に帰って参りますると日本の図書館には書物がない。極めて乏しい。僅かあるけれども十分の材料を私に供するだけのものでないので残念であります。彼国にいる頃にこれを皆ていねいにやればよかったと思って実は今頃後悔している次第です。言語学という原則の学問の方と古代語研究とに非常に力を尽したために、後の面白い問題について十分の時間を使うことが出来ずして帰朝したわけですから、はたはだ今残念に思うのです。しかしながら出来得る限りどうか調べてみたいと思いまして、先輩の白鳥さんたどはことにそれに力を尽しておられまするから、その驥尾に付していろいろ考えてみたのです。ところが御承知の通り、今は故人になられました田口卯吉氏がずっと前に西洋語と日本語との直接関係を説き出してウラルアルタイ語としての日本語所属論を激しく打消したことがありました。その時には黙っていられなくて少々『史学雑誌』で研究法上から御答をしたようなことがありました。今でも私の友人として最も親しんでおり、また英語の学者として私が尊敬している平井金三氏がやはりインドヨーロツパと直接関係を説かれております。すなわちわが国には日本語の位置についてはインドゲルマン説が以前からあり、今も存しているのであります。これも決して一笑に付し去るべきものでありませぬでしょうが、さような直接関係のことはさておいて、まず東洋の諸種族、少くとも人種上大分似ている人類の間の言語の関係を見る方が先にありたいと自分は思います。近きより遠きに及ぼしたいのです。最後に至るとインドゲルマンとも手を携えることになるかもしれませぬが、それは直接に見ないで、日本語としていよいよウラルアルタイ族に属するとすれば、まずどれくらいな仮定が出来るかということを考えてみたのです。これについて漠然とした二つか三つくらいなことは、随分多くの人が考えているようです。諸君もすでに御聞き及びのことと思います。しかし私はそれ以上に較べてみたのです。もっともこれは綿密な比較でありませぬから、先にも申した通り、研究の結果たる鉄案として御披露することは出来ぬのです。或るいは結果とはいえるにしても、なお仮定として申すより仕方がないのです。その仮定としてウラルアルタイ言語と日本語との関係がどういう点において言われるかということを考えました。私の先ず考える処では、一四個条くらい考えてみることが出来ると思います。今までの人のいうのよりは遙かに多いのです。もっとも、ウラルアルタイ語族には、きわめてたくさんの種類の言語がありますから、一四個条ことごとくが総てに通ずるとは言えないものがあります。大体においてこの性質があるというのです。このことは予め御断りをしておきます。いわゆる幾分の取除はありまするが、大体を申すのです。



 第一、音の方から申しますと、いわゆる文典の三分法の順序から言って音の方から言うと、語頭に子音が二つ来るということをウラルアルタイの言語では嫌うということが言えます。もっともこの事はインドゲルマン中の或るものにもあるのです。例えばラテンの言葉で学校ということはスコラというのです。フランス語ではこれがエコールとたっております。スペインでエスコール、イギリスでスクールになっている。そのイギリスの形では頭に二つ子音が来ております。それがフランスではエコールの始めにエという母音になって出ております。このフランスのコールの前にどうしてエが付いたかという歴史を調べて見ますと、これはラテンの方言の分裂しました時にエスコラとなったので、すなわちスコラの前にエが付いたのです。もっともこのエという音は地方においては広く発音したり狭く発音したりしますから、方言的の差別がここに出来た。すなわち一方は狭く発音をしてイを付けたものはイスコラとなり、広く発音した方はエを付けてエスコラとなった。そのエスコラの系統に属するのがスペイン或るいはフランスあたりへ入った。その後このエスの二番目のスが消えてしまって、フランスではエコールとなったのであります。見ればほかの言葉にもありますが、フランス語によく見えます。初めにスク(sk)とかスッ(st)とかスプ(sp)とかがあるその前に母音が付けられて、そうして後に直ぐ次に立つベき子音が消えたということは、フランス語にはきわめて多いようです。例えばエタブリールという言葉があります。英語ではエステーブリッシュでestとなっているのに、フランス語ではetとなってsが脱けております。すなわち同じ例になります。それから階段のことをフランスではエタージという。英語に直せばステージになる。これも同じわけのものです。要するにラテンから変る間に語頭に二子音をおくことをさけたために、初めにエが付いたのです。こんなことはインドゲルマンにもかくのごとくありますので、ウラルアルタイ語に限りませぬけれども、ウラルアルタイにはこれはことに著しいのであります。今申すとおりインドゲルマンでは一方英語はすでにステージというような形があるのに、一方フランス語に消えたりしていて、不揃いの所がありますが、ウラルアルタイ語の方では不揃いでなく、一体の言葉の初めに二つ子音を持って来ることは嫌うのであります。一例をいえばハンガリー語を聴きますと、学校のことをイスコラといいます。これはやはりラテン語が入ったので、スコラの前ヘ上にいった狭い口蓋母音iをつけてイスコラとしたのです。ラテンからの本筋のいい方ならスコラでなければならぬのが、イスコラになっている。これはこの国語の言語感から左様になるのです。耳に訝しくあるのみならず、発音もむずかしいのでかようになるのです。すなわちこれを国民の一般の言語感上、語頭の二子音を許さぬといえます。また同じことがモンゴール語にもあります。私はこの間往って直接に観察したのですから、最も確なことです。モンゴールにも、やはり言葉の初めに二つ子音を持って来ることを、たいヘん嫌います。嫌うと言って別にあるものを撥除けるのではないが、出て来ないのです。そこで外国語起源のものでそんな場合には前へ母音をことに付けて来ることになっております。日本語にそういうものがあるかというと、日本語でもsk,st,spが初めに付いて来ることはない。日本人に言わせればその二子音の間に必ず母音が入るかどうかするのです。純粋なる子音が二つ立つということはないと考えます。もっとも外国語を学んだもの、たとえばわれわれのようなものがやりますると、語頭にも随分子音を二つ列ベたりしまするが、それは外国語のがうつったので本来のものではありませぬ。それで本統の日本語にはなかろうといえます。これが一つの個条ですが、なお少々広めて考えると、われわれの語には語頭のみならず語の中でも終りでも二つの子音が続くということは少い。委しくいえば語り口の発音位置がまるで違う二つの子音が続くということは、日本語の本来性には少い現象と思われます。この事はモンゴール語にもやはりありまして、二つの子音を言葉の頭に限らず中でも終りでも持って来ることは、はなはだ多くない。例えばサンスクリットの言葉を取って言うと、菩薩という言葉が入っている有様に見えます。菩薩は日本では妙になってしまっているが、サンスクリットの音ではBodhiSattva(菩提薩〓)という音です。それを蒙古語に入ってはBodhiはBodiにしてしまう。有気音は支那に多くあるが、蒙古の人はそういう場合には出さぬ。少くとも有声音の後にはつけない。SattvaはSatowoとします。vという音が日本にもないごとく蒙古にもない。上の歯と下の唇で出す摩擦有声音はない。そこでそれをwに代えて後に母音を加えています。vをwに代える例としては涅槃の語も数えられます。これはサンスクリツトのニルヴァーナをニルワンとします。日本語のワニスもその例です。とにかくvのないことは余談ですが、二つの子音が続くことは少いといえます。もっとも今日の両語の発音をよく調ベると、日本語で異なる機関位置に属する二子音が語中または語尾に来ることが認められますし、蒙古語の文語にまたいくらもそのようなことが容易に発見せられますから、これはずっと古い時代の両語の様を想像していうまでであり、かつ大体にとどまります。従って語中語尾についてのことはやや薄弱な説と自分ながら只今は思っています。しかし語頭については十分いわれると思います。故にこの第一個条は語頭のみのこととしておく方が今は穏当です。

 第二に日本語の本来の言葉にはアール(r)の音が初めに来ない事です。これは多くの人が古から、すでによく言っていることです。これはウラルアルタイ語族の方でも西の方トルコ語、今のハンガリーの言葉などではrが来ないとは言えませぬが、東の方へ行きますと、蒙古語には絶えてないのです。rが初めに来ないのです。古語でも(むろん今の口語にはありませぬが)本来の蒙古語としては語頭にrはありませぬ。これがあるものを見出したらそれは本来のものでない、外国語から来たときめられます。すなわちこれを東部ウラルアルタイ族の特徴といえます。すなわち東部ではrの音が初めにない、あればそれは外国語であるということになるので、これは皆一致しております。著しい一例を挙げればロシアの国名です。これは英語で言えばラシア、 ロシア語ではロシアです。それをハンガリー語で(この例にはハンガリー語もこめられるのです)言うとオロスとなります。ロスの前にオを付けて造ったものです。かようなオは意義上に変化を起さないもので、これを言語学ではインオルガニックのものと言います。日本語でもロシアのことをやはりオロシヤと言ったのもこれであります。ロの音が強いと初めに不定の母音が聞える気味がある。不定の母音はoに近い。そこで耳の方の感じから、他の母音でなくオをrの前につけていうのであります。とにかくrを以て始まる語は、この語族の或るものの通性といえるのです。ウラルアルタイ族全部に亙ってはいわれませぬから、これは東の方のものにとどめて置かなければなるまいと思います。この点ではトルコ語のごときが取り除けられますが、他の点に大いに親近なことがいくらもありますから、この語がこの語族からこの点だけで除かれるものではありませぬ。

 第三には母音調和すなわち協韻法のことです。これはきわめてむずかしい問題でありまして、ここに黒板でもなければ、とても十分に説明は出来ませぬ。これを最もよく説明した人はフランスのリュシアン・アダムという人です。これは年号を確かには覚えませぬが一八七四年と思います。その時に協韻法の性質、歴史について一冊の書物を書いております。

L' harmonie des voyelles dansles langues ouraloaltaiques

という書物です。フラン語で書いてあります。僅か一冊の薄い本ですけれども、七章に分って詳密に説いております。そんなものがありますが、それ等の学説の話は今あずかっておきます。ただこの語族には母音調和ということが著しいものであるということを申すのです。世界の言語分類をするについても、リュシアン・アダムだけは特にラング・ヴェルジョネルという一類を設けております。ヴェルジョネルとはこの協韻法に着眼して名づけたので、ウラルアルタイ語族をこれとします。御承知のとおりシライヘル流の言語分類法は三つしかない。ところがリュシアン・アダムがその外にこれを立てたのは、この母音調和を特質とする言語をみとめたからです。なるほど西はフィンランドの言葉、ハンガリーの言葉より、東は満洲の言葉、蒙古の言葉まで、この母音調和法が存している。よって世界の言語分類の事は別問題として、さてウラルアルタイ語族にはこれを注意せねばなりませぬ。ざっとこの事を申しますと、こういうことです。母音調和というのはまず母音の階級を三つに分類する。第一はアとオとウで、第二はエとエの或る要素を被っているオ、ウです。第一を男性または陽性母音といい、強母音ともいいます。第二は女性または陰性母音といい、弱母音ともいいます。第三はイでこれを中性母音といいます。故に蒙古語ならば七つの単母音をこの三類に分けて立てるのです。そして複母音に至ってもこれを準拠としてやはり三分します。母音がかように分類せられていまして、それからこれに合う子音をきめています。この二つの事を根拠として音節の構造から文法上の変化までを支配します。文法上での一例を言いますると、蒙古語で山というのをアゴールといいます。このアゴールという言葉の後へは、「の」という意味のものを付けるとアゴール・オンとなる。ゲルは家という義で、これを「家の」とするときにオンは用いないで、ウン(このウにはエの或る要素を加える)とします。すたわち前の母音と調和を保って後の母音が表われるのです。字形が同等でしかも音をかえるから、はなはだおもしろいのです。とにかくかような風に母音調和があるのです。各国語で多少の差がありますが、ウラルアルタイ語族では大抵これがあるのです。さて日本語の方ですが、ここにはこれはありませぬ。母音調和法というものは日本にはないのです。少くともリュシアン・アダムが言っているような厳格なる母音調和法は日本にありませぬ。もし日本にこれがあるとすれば、例えば天爾遠波が名詞に付く時に前の名詞の音によって天爾遠波の音が変らなければならぬわけですが、そんなことは日本にはない、「山の」と言っても、「木の」と言っても、「手の」と言っても同じことです。して見るとわが国語にはこれは欠けているといえます。同語族としながら、この欠けているのを見ては、いかにこれを説明するか、この点については私は未だ説明が出来ませぬ。スイートの『ヒストリー・オヴ・ラングエージ』の上には解釈を試みてあります。それは日木は未だ語が初等なんで、その前の言葉と後の言葉との音韻上の関係を十分付けるまでに進んでいないのであると言っています。一体スイートはウラルアルタイ語族中地理上から見て、東の端にある日本語は一番初等発達程度にある、だんだん西へ往く程進んで、フィン語になると大いに進化して曲尾語に近づいているということを信じている人でありますから、その前提から説明したものと見えます。しかしこれは古くはアーデルングもいった説で、あまり感服は出来ませぬ。総体言語の初等とか高等とかいうことは形式上では分らないわけのもので、少くとも近世の心理的言語研究をしたものには首肯出来ぬものです。そんなことはさておき、ともかく日本語の上にはこの現象は古語にも十分は認められませぬ。これは事実ありませぬから致し方がありませぬ。しかしウラルアルタイ語族は大部分にはありますから、これは考えておかなければならぬものです。日本語が他の点においてウラルアルタイの中ヘ入るものと今後極まったならば、その暁において、何故に日本語に母音調和法がないかという説明は大いに研究しなければならぬことになろうと思います。それまでは預りにしておきます。これだけが音の論です。音のことはまずそんなこととして、その上の細かい論は只今止めておきます。

 次は語の事になります。第四にウラルアルタイの言語には、冠詞というものがない。英語でいうような冠詞というものがないのです。英語ではthe等、ドイツではder等というものがありますが、本来この語族にはない。ただしこれは今のハンガリー語にはあります。アズとかアーとかいう音を冠詞に使います。母音が初めにある言語の前にアズ、その他にアーとします。しかしこれは歴史上、後に発達したものであることが立派に証明せられておりますから、本来にはなかったといえます。して見るとウラルアルタイ語族全体に冠詞はないということに帰着します。日本語にこれがないのも明かでありますから、ここに立派に数えられます。

 第五は文法上の性のことです。これは日本人から考えれば非常に不思議なものです。性があるということはいかにも無意味に思われます。一体私共はあんな無益なものはなくてもよいのにとしばしば思うくらいであります。あんなものがありますから、ドイツ語やロシア語等は覚えるのに誠に厄介です。あんなものがあったところで大した効能はありませぬ。効能がなくして余計なものが存しているのです。開けた国には開けた語があるものであるという人がありますが、これはきわめて開けないことが、いわゆる開けた国語に存していると言い得るのです。余計なものがあるのです。理屈が合っていれば宜しいけれども、理屈が合っておらないから困るのです。男性とか女性とか中性とかいろいろな別を立てたところに、大した理由はありませぬ。ヤコブ・グリムなどは立派にいわれをつけて、男性に属するものはこういう意味、中性に属するものはこういう意味だ等と言っていますけれども、事実はことごとく当っておるのでありませぬ。故にあれは無益なものと思います。ない国の方が余程仕合せと考えます。だから私は現代欧洲語中、英語は一等宜しいと思います。多少は英語にもありますが、他のもののごとくありませぬから、余程宜いと思います。ウラルアルタイ語も、この都合の宜しい方の語で、性というものは何処にもありませぬ。日本にもありませぬ。随分アフリカの土蛮の言葉とか、アメリカの土人の言葉などにも、性に類するものはあるところがありますけれども、ここにはないのです。そこでこれを余程著しい通有、否、通無現象として数えられます。

 第六には動詞の変化のことです。動詞の変化は、インドゲルマン語の動詞の変化の仕様といわゆるウラルアルタイ語およびわれわれの日本語の動詞の変化とは、著しく違っています。インドゲルマン語には、御承知のとおり、語尾変化とか何とかいうようなことが言われるけれども、日本語等にはそれと等しい語尾変化というものはありませぬ。別のものと見る側から、これは昔の人の言った活用という言葉の方が余程宜いと思います。ウラルアルタイ語のはあるものが語幹にだんだんくっ付(、、)いて往くのです。くっ付(、、)いて往くということは、元からあるものが曲げられるということとはちがいます。いわゆる西洋のインフレクションとは(起源は別問題として)趣きが違います。さて日本語でそのやり方と、ウラルアルタイの例えばトルコ語とか蒙古語とか満州語とかのやり方と比ベますと、同じことです。同じように下ヘ下へとくっ付いて来るのです。随分長くいろいろくっ付きます。例えば「よましめられざりき」のごとくです。もっとも国語によって動詞幹の次に所相の動詞が先へ来るとか、打消の助動詞が前へ来るとか、そんな前後の差はありますが、皆相続いて一つづきに来るものです。私はそのすベてを一語と見ます。一語のきまりの論はここに省きまして、ただいわゆる助動詞の喰い付きようについて、その順序が国語によって違うことを注意しておきます。だから日本語の文法を説くならば、この順序の事は是非説かんければならぬものです。動詞の土台があって、その後へ勢相や何かいろいろなものがくっ付く場合には、何が先に立つかということは文法において必ず説かんければならぬ、極く必要なことであります。要するにこの順はちがっているものがありますが、大体ウラルアルタイ語族の動詞活用法は一律であって、インドゲルマンのとはちがう。日本語もその内に並ぶものと信じます。

 第七には動詞にそういうようにくっ付いて来るものが非常にたくさんあることです。日本語もかなり多いです。助動詞というものが英語等のAuxiliary Verbといっているような簡単なものではない。ずっと多い。英語やドイツ語にあるところのものを持って来て数を合わして見たら合わない、ウラルアルタイならびに日本のが遙に多いのです。語尾の接辞とも言いますが、そういう類のものが確かに多いのです。故にこの事も特徴として挙げられると思います。

 第八には代名詞の変化です。代名詞の変化ということは、これも西洋の代名詞の形からいうことで、こちらのものには当らないいい方です。かりにこちらのも変化と称してさてウラルアルタイの代名詞の変化とインドゲルマンのと比ベると、変化の仕様が著しく違っています事がわかります。これも黒板へ書いて母音の変化する有様を説明しなければ分りませぬが、あいにくここには黒板がありませぬから、やむを得ませぬ、これはただ諸君が日本語のいわゆるこの変化とドイツ語等のと見出しだけにとどめておきます。比ベて御覧になれば、天爾遠波の力を認めると同時に大いにちがうことがわかると存じます。ともかくこの事も日本語をウラルアルタイ族に入れ得る点と出来ます。

 第九には、西洋語には前置詞というものがある。もっともドイツなどには後へ付けるもの、すなわち後置詞というべきものもありますけれども、前置詞というものが最も拡がっております。それに当るものはウラルアルタイ語族では、ことごとく後に付けます。打消などの時にある「な言ひそ」とか「なのりそ」とかの「な」のごときは前に来るので、蒙古語にも同法がありますが、むろんあれはインドゲルマンの前置詞に当るものではありませぬから、今の論には入りませぬ、ただあちらで前置詞としているものに当るものが何時でも後へ付くことというのです。これはもうウラルアルタイ全部を通じている、日本語も同じことです。なお付け加えていいますと、いわゆる天爾遠波がこの語族をずっと調べて見ますと、場所関係のものが主になっています。例えば日本語の天爾遠波の「に」がもともと場所に関するものであって、今の俗語で如何にさまざまに応用せられているかが見えます。その通りのことがウラルアルタイ語に瀰漫しています。もっともその他の語族でも場所の関係のものがこの天爾遠波類似のものには多く用いられることは、誰も知っているところですが、ウラルアルタイ語族で著しく見えます。

 第一〇には、「もつ」という言葉がないことです。これは珍しいことです。日本語にあるではないかという御答が出ましょうが、西洋で言うような意味で、つまり英語で言いまするhaveに当るものはないのです。日本語にもウラルアルタイ全部どこにも本来ないのです。著しいことです。例でいいますれば「父が三人の子をもつ」というようなことは日本では言いますまい。西洋流の声色では言いますが、日本本来の言い方にはないのです。この言い方はウラルアルタイ全部にありませぬ。そういう場合には、「彼の人に三人の子がある」といって「に」を使います。ウラルアルタイ全部どこでもこの「に」に当る語すなわち場所を示すものをおいて、その後へ「父に三人の子がある」というように「ある」を持って来ます。かように「持つこと」を現わすのがウラルアルタイ全部の性質で、日本語もやはりそれです。これだけが語の方の話になります。それから文章論について言いましょう。

 第一一には形容詞の比較を顕わす顕わし方です。英語で言うハイヤーとかロワーとかいう言葉を、苦しい直訳読で「より高く」とか、「より多く」とかいっています、あの「より」は英語の形容詞の語尾を訳したつもりで、実はその後に来る語を訳して、形容詞に付けたのです。だから「これよりより安い」というように二重につかわねばならぬことになったのです。さて、その前置詞「より」は英語ではthan接続詞ですが、ウラルアルタイ語族では、またわが国語では奪格を示す天爾遠波を用いるのです。「より」自身がそれです。韓語でもやはりそういうものをこの場合に用います。故にこれがまた一個条にかぞえられると思います。

 第一二には問の文章は西洋の言葉は、御承知のように語の位置を換える、動詞を初めに持って来る。ところがわれわれの言葉およびウラルアルタイ全部、トルコでも満洲でもどこでも皆それ等の言葉は何か問を示す言葉を、当り前の文の終いに付けます。日本語もそうでしょう。ただ往くなら「往く」では当り前である、終いに「か」をつけて「往くか」と言えば問になるのです。だから中ごろまで問でない言葉遣いで進んで来て、終いに問にするのです。西洋の言葉はそうは往かぬ、初めから問なら問の積りで言わなければならぬわけです。日本のは中途から変心しても構わぬような次第です。便利でしょう。そういうように出来ています。それがまた通有性です。

 第二二、接続詞の使用が日本語には少い。少くとも古い言葉に接続詞はなかったらしい。やや後でもきわめて少いのです。ウラルアルタイ全部そうです。日本で今日文法に現われているいわゆる接続詞は本来のものでない、ほかの品詞からやって来て、そこへ寄留しているものです。して見ると、根源からいって本来、接続詞をほとんど使わない性質があるといえます。これはウラルアルタイ語族皆そうで、今も接続詞の使い方をきわめて少くすることが一致しているのです。その代りにどうかすると「源氏」などにある様にだらだら文が出来上ります。手紙の文体で、何々候間、何々候に付き、というようた風にだんだんつないで長いものがあるのはこのわけです。言文一致文を子供にかかせるとやはりそれと同じようなことが出来ます。けだしこれが日本文の通性なのです。否ウラルアルタイ語族の通性であります。これを英語にアンドとかバットとかビコーズとかいうようなものを用いるのと比ベればよく特徴が見えます。

 第一四、今度は言葉の順序です。言葉の順序は一体に形容するものが形容されるものの前に立つ。「高い山」というように言うのが原則です。これはウラルアルタイ語ことごとく、朝鮮、日本皆そうです。しかもウラルアルタイ全部で見ますと、多くその言葉は皆形容詞が変化しませぬ。形容詞が変化せぬというのはこういう意味です。西洋語で言うと、古代英語の方は後へ立つ名詞の格によってその形容詞も格語尾というものを取る、その格語尾が変化です。ウラルアルタイ語には皆これはないのです。日本語にもそういうことはありませぬ。

 次は日本で訳して客語と言っておりますが、この客語が動詞の前に立つことです。花を折る、水を飲むというように飲まれるものを先に言う、折られるものを先へ言います。これは西洋でも支那でもそれが顛倒している。ところがウラルアルタイ全部そういうように、平たくいえば「を」の付くものを前へ置いていいます。これも言葉の性質と見られるものです。

 まず以上ならべましたようなものくらいです。まだありましょうが、追々に考えてからにしたいと思います。ともかくこのくらいの処を調べて比べて見ますと、どうも日本語は直接インドゲルマンとの関係を立論するよりは、どうしてもまずウラルアルタイ語族ヘ付けなければならぬかと思います。今までの人はrが語頭にないからという事等、僅か二、三の理由を根拠にしてウラルアルタイ説を立てておられるようですが、あまりに理由とするところが多くないと思いまして、かようにならべてみましたのです。私は今までこの話はどこでもしない、ここで初めてするのですから、この只今の話によってこういうことに諸君が気を付けてくださるようになったら、まず第一にここに私の友達が出来たというわけですから、私は満足に存じます。

 さてこれだけ数えてみて、日本語がウラルアルタイに属するということに今しましたが、よく見ればまだ出て来ましょう。まただんだんやって往きますと、この中で壊れるものが出て来るかもしれませぬ。それは分りませぬが、まずほぽ見当を付けて、それから調べて往くのがよかろうと思います。もちろん肯定論としてこれをいうものは、またその反対にこれを否定する理由がどれくらい出て来るかということも考えねばなりませぬ。日本語がウラルアルタイに属しないという理屈を立てる側に立って見ると、それもまた少しは出て来るかもしれませぬから、それをも考える必要があります。が先入主になって反対説をみだりに頭からこなすことは出来ませぬ。至極公平な学術的研究態度で考察せねばなりませぬ。故に以上の仮定を設けてウラルアルタイに属する説をいいますものの、まだまだ研究が終了したとは決して思わぬのです。幾多の有力な積極的証明が出来るまでは、どしどしなお進行したいと思っております。それには諸君方の御調べもまた大いに承らねばなりませぬから、ここに一提案を出しまして、御参考に供します。この案はつまりまずこんなものででもあろうかというでも案でありますが、よく御辛抱を下さいました。



   (本編は藤岡文学士が、さきに本大学同窓会の席上において演説せられたものを筆記して、その校閲を経たものであります)



 〔1〕 「国語上より観察したる人種の初代」『史学雑誌』第一二編第六号、明治三四年(

 〔2〕 「言語を以て直に人種の異同を判ずること」『史学雑誌』第一二編第九号、明治三四年(

 〔3〕 「日本の言葉はアリアン言葉なり」『新公論』第一九年第八〜一○号、第二○年第一号(明治三七〜三八年)

     「日本語アリアン語比較表」『新公論』第二○年第二〜四号(明治三八年)



『国学院雑誌』第一四巻第八、一〇、一一号(明治四一年)
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