2005年03月13日

細江逸記『動詞時制の研究』第4章・§18(抄)

なお,ついでに私が§7,(b)に引いたわが国語のいわゆる『詠嘆』の「けり」すなわち
常磐(ときわ)なる松の緑も春来れば今一しほの色まさりけり  (古今集,巻1)
手枕のすき間の風も寒かりき身はならはしのものにぞありける (拾遺集,巻14)
父上よ今朝はいかにと手をつきて問ふ子を見れば死なれざりけり (故落合直文先生)

なども皆この類"Past Tense"に属し,そして前前節に説いたImperfect同様,時の区別を離れていわば現在的な,しかも余韻嫋(じよう)々たる陳述をなしている。山田博士はこの「けり」を説いて『現実を基本として,これにより回想を起こすなり』と説き,単純な回想の「き」と区別し,従来の学説に満足な説明のなかったことを嘆き,最後に『今かくのごとく解して初めて心安きを得たり』と言っておられる1が,私には,失礼ながらこの「けり」と『昔男ありけり』などの「けり」との関係が明示されていないように思われて,依然として心の安きを得がたい。私がこの「けり」をば§7,(b)では英語の"Tot was mother's darling!"スゥェーデン語の"Det vas trakigt"と同列に置きながら,前節に含めずに本章に分けた理由は次次節で明りょうにするが,山田博士が説き残されたと思われる点に関する私の考えも同時に略説するであろう。


 1. 『日本文法論』411ページ。
posted by 国語学者 at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 古代語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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