2005年03月13日

細江逸記『動詞時制の研究』第2章(抄)

この用法はいうまでもなく古くから"Historical Present"と称し,またJespersenが"Dramatic Present"と名づけた(Tid of Tempus, V.385)ものであるが,一般に言い継ぎ語り継がれている説明によれば,過去の事柄を眼前に躍如たらしめるためにこの語形を用いるというが,私見によればこのようなのは修辞学または文体学または文芸技巧上の説明であって言語学ないし文法学上の説明ではない。すなわち上に引いたHamletの例についていえば,修辞学を説くものは過去に幽霊の出現した事実を眼前に躍如たらしめるために"Present Tense"の語形を用いたと説くのもよいが,それはShakespeareの立場から芸術的見地に立ってなした説明であって言語学上また文法学上は無価値に近い。言語の原理を説くもの,文法の説明をなすものは効果に心酔して原理を追求することを怠ってはならない。よろしくHoratioの観点に立って(この引用文はHoratioの王子Hamletに対する言葉である)この語法の存立するゆえんを説かなければまだその任を果たしたものとは言い得ない。わが国語でもこの問題は明治年代の文法学者間に正否の論議が行なわれたように私は記録によって知るのであるが,その中にはいわゆる『現在形』をもって「現在時」のできごとを表わすものとする謬見にとらわれて,あさはかにも,古往今来常見のこの語法を誤りとするか,さもなければ修辞と文法とを混同して安住し得たとした人が多かったようである。その中でようやく明徹な見解を下そうとされた学者は草野清民氏であったが,不幸にも氏は早世されたので十分に氏の説を聞くことができないのは私の最も遺憾とするところである(遺著『日本文法』12930ページ参照)1。氏に次いで,さらに数歩を進めしっかりした立場を保持して明透な学説を立てられたのは今の東北帝国大学教授文学博士出田孝雄氏で,ほとんど暗中摸索の状態にあった私の目に一条の光明を与えたものは実に私が明治43年ごろに読んだ博士の名著『日本文法論』であったので,私は終生無限の感謝を未見の恩師山田博士にささげるであろう。博士の『文法上の時の論』(同書41342ページ)には今日私の首肯しかねる点もないではないが,しかもなお金玉の文字というべきである。

(中略)

これに反してわが国文学では古くからこの用法が利用されているので,『宇陀(だ)の高城に鴫(しぎ)わな張る。わが待つや鴫はさやらず』(古事記,中巻)など数多い例の一つである。
posted by 国語学者 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 古代語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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