2005年03月11日

国語問題(明治事物起源 第七学術)

 明治になりて、わが国語と文章との間に、大溝渠あるを不便とし、両者を相近づかしめんと論著せしは、実に明六社諸同人に始まる。ローマ字仮名字のことは、別項これを述べたれども、なほ、当時の世論一斑を抄出せん。

「……然ルニ今其所謂我ノ文章ナル者、言フ所書スル所其法ヲ異ニシテ、言フベキハ書スベカラズ、書スベキハ言フベカラズ、是亦文章中ノ愚ナル者ニシテ、文章中ノ一大艱険ナリ、蓋世ノ人既ニ爰ニ見ルアリ、故ニ今日之ヲ改正セントスルノ挙亦ナキニアラズ、曰ク漢字ノ数ヲ減ジ其数ヲ定ム、曰ク和字ノミヲ用ヒ和字書ヲ製シ和文典ヲ作ルト、其他異論アリト雖、是近日翹楚ナリ……」(明六雑誌一号、西周説)

「維新ノ際、論者文字ヲ改メテ、通用ニ便セント欲シ、或平仮名ヲ用ヒント云ヒ、或片仮名ヲ用ヒント云ヒ、或洋字ニ改メント云ヒ、或新字ヲ作ラント云ヒ、又邦語ヲ廃シテ英語ニ改メント云フ者アリ、又従前ノ如ク和漢雑用ニ従ハント云フ者アリ……」(明六雑誌第七号、清水卯三郎説)


 以上は、明治七年頃の所説なるが、国語問題の実際は、今日なほこれを繰り返すに過ぎざるなり。(別項「小学仮名つかひ」および「清水卯三郎小伝」参照)
posted by 国語学者 at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 国字問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/2842517
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。