2005年03月11日

仮名がき論の始め(明治事物起源 第七学術)

 明治七年五月発行『明六雑誌』第七号に、清水卯三郎の平仮名の説あり、平仮名にて、日本文を書くべきを論じたり。「則余ガ〈舎密ノ階〉ヲ訳述シテ同志ニ謀ル所以なり」とあり。氏の舎密書に、仮名書きの著訳『ものわりのはしご』三冊外二種あり。

 明治十六年七月かなの会成立す。ただ意見一致せず、会員を雪月花三部に分かちをりしが、翌十七年七月合同し、事務所を飯田町一ノ七に移せり。会員の数、十六年七月には二百人なりしが、十七年八月には二千余人に上れり。

  仮名会   王鉄峰

橋端箸嘴混雑v通、医者石屋疑似(ノ)中、棄2却漢洋若干字1、欲c将2蚯様1振b皇風a

  同      一々庵

さり状の規則を破るかなの会


posted by 国語学者 at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 国字問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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