2005年12月04日

富士谷御杖『北辺随筆』ねばといふ脚結

〇ねばといふ脚結
かみつよに、ねばといふ脚結おほし。すべて、ぬにといふ心に用ひられたり。代匠記に、万葉集巻四、「奉見而未時太爾不更者如年月所念君《ミマツリテイマダトキダニカハラネバトシツキノゴトオモホユルキミ》、といふ歌の注に、「秋たちていくかもあらねばこのねぬる朝げの風は決すヾしも、【此歌を、後撰集には、すでに「あらぬに、となほしてのせられたり。】「秋田かるかりほもいまだこぼたねば雁がね寒し霜もおきぬがに、「さねそめていまだもあらねば白たへの帯こふべしや恋もつきねば、「秋山のこのはもいまだもみぢねばけさふく風は霜もおきぬべく、「巻向のひばらもいまたくもらねば小松が原に淡雪ぞふる、「うの花もいまださかねば郭公さほの山べを来なきとよもす。これらを引きて、末のよのあさましきは、この詞などのかなへらんことを、いかに案ずれども、えわきまへはべらぬなりと、契沖あざりはかきおかれたり。この阿闍梨より後の注者も、たヾぬにの心なりといへるばかりにて、弁じおかれたることも見えず。先達のおぼめかれたる事を、わきまへがほならんは、なかなかなるわざなれど、此詞、「いまだ時だにかはらぬにとよむ時は、われよりことわるわざとなるが故に、そこをのがれむが為に、ねばとはよむなり。されどよしなくていふにはあらず。相見ていまだ時だにも、かはらねば、ひさしとは思ふまじき理なるにといふ心をおもはせて、ねばとはよむなりけり。これこの阿闍梨の、此詞をしもわきまへられざりけるにはあらず。御国言をば、からごとのなみにおもはれけるがゆゑなりかし。万葉集巻八に、「霜雪毛未過者不思爾春日里爾梅花見都《シモユキモイマダスギネバオモハヌニカスガノサトニウメノハナミツ》とあるは、ねばといひ、ぬにとさへよめり。めづらしき例なり。
posted by 国語学者 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 学史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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