2007年05月22日

森鴎外「歴史其儘と歴史離れ」


地の文はこれまで書き慣れた口語体、対話は現代の東京語で、只山岡大夫や山椒大夫の口吻に、少し古びを附けただけである。

森鴎外「歴史其儘と歴史離れ」
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『日本語の歴史7』平凡社所引(第一章第一節)
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2006年11月07日

素読(そどく)のすすめ

安達 忠夫 / 講談社現代新書


p50-51
謡曲共通語
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2006年02月23日

男もすなる……(城戸千楯「紙魚室雑記」巻之二)

○土佐日記のはじめのところ
同人説、土佐日記のはじめの処の詞に、男もすなる日記といふものを、女もして見んとてす也とあるを、是も彼国の古本には男文字なる、日記といふものを女もじして見んとて、すなりとあり。さて此文字の字の字を古くずと訓て、文字をもずといへりし也、是にて彼是諸説のうたがひは無用の事にて、よく分明なりといはれたり、げにさてはさる事なり。

同人は、「出雲人中臣典膳正蔭主」。「天保十二年十月廿日上京にて訪はれける時」に話したこと。前条が、「今の書紀よりふるきもの」であるという「かな日本紀」の話なので、信頼は出来ないが、「男文字・女文字」で解する人が江戸時代にもあったという記録として。

日本随筆大成1-1 p643
(新1-2)

【参考】
小松英雄
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2006年02月20日

遠州訛(馬琴「覊旅漫録」)

〔十七〕遠州訛
遠州より西は、半元服の娘多し。白歯のむすめはたえてなし。ゆくべきをゆかず、くらふべきをくはずなど、ずの字をそへていふこと。駿州より尾州のあひだみなしかり。就v中遠州人ずが多し。
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2006年02月03日

千代田文庫(明治事物起原 第七)

千代田文庫
 千代田文庫は、皇城和田倉門内にあり。もと、城内山里にあり、山里文庫といへり。明治十七年、皇居御造営の地に当たり、いまのところに移り、その名を改む。つねに多くの図書を蔵置し、内閣記録課これを管理し、諸官衙の請求に応じて貸与す。
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大橋図書館の始め(明治事物起原 第七)

大橋図書館の始め
 明治三十五年六月十五日、大橋図書館開業す。同日はあたかも博文館創立の十五周年記念日なり。同館は、大橋佐平が、川上大将の旧邸を買ひ、その邸地内を敷地として、建設に着手し、後嗣新太郎が、これを完成せしものにて、私立図書館の始めなり。
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浅草文庫(『明治事物起原』第七)

浅草文庫
 板坂卜斎の浅草文庫は、寛永時代のものにて、ここに記さんとするは、明治七年の文庫なり。
 この年、始めて地方官会議を東京に開くはずにて、九月十日を限り出京するやうに、各地方官に通達せり(正院第八十一号達)。だが、その議場に充つべき適当の建物なく、幸ひ文部省所管、湯島の書籍館の閲覧室は、議場に代用し得べければ、七年七月三十一日に、書籍館の所蔵図書を、浅草蔵前なる須賀橋に近きもと米倉地内に移し(明治九年二月免許、明細東京全図、浅草御蔵の南東隅に、文庫とあるところ)、これを博物館所属浅草文庫と称し、八年十一月十七日より、借覧人規則を定め、公私の借覧を許せり。
 十五年二月の『うきよ』第一二二一号に、「浅草文庫は、東京職工学校とせらるゝに付、右文庫の書籍は、残らず本省へ引渡され、追々は、図書館へ移さるゝよし」とあれば、十五年までは、蔵前にありしなり。
 これより先、湯島にありし聖堂の文庫は、明治に入りても、もとの司書係星野寿平といふ者、丹念に整理し、目録を作り、十四万六千何百巻かを調べ上ぐ。その新製目録は、ただ経史十集の四部に分類するのみならず、外題の字画引き、音引き、倭音引き、外題の字数引きの五種を作りしは、なかなかの丹精なりし。後の女子師範学校の前に、大建物が出来、ともかく、ここにて、誰にも読ませるやうになりをりしなり。
 浅草は、御蔵のあとにて、後の高等工業学校のところ、そこに四棟の土蔵を建てて、書庫とせり。浅草文庫の蔵書銅印の文字は、三条実美の版下にて、書庫の鬼瓦の文字は、それの放大なり。いつれも博物館長、町田久成好事の業なり。
 ずつと後年の話なるが、その文庫の鬼瓦が、上野の寛永寺に伝はり、内二枚は、大槻如電翁に転伝し、如電翁それを、浅草伝法院に寄附して、現存す。

浅草文庫(はてなキーワード)

浅草文庫(植松安)
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2006年01月20日

石川雅望「ねざめのすさび」○漢音呉音にて書をよむ事

  ○あるひとのいはく、儒書は漢音もて読べし。仏書と医書は呉音にてよむこと、いにしへのならひなりといへり。
考るにしからず。仏書を呉音もてよむべからずといへること。いにしへ既に天子の命あり。日本紀略云。〔桓武天皇延暦十年閏十一月、〕辛丑。勅。明経之徒不v可v習2□《呉カ》音1。発声誦読既致2訛謬1。熟2習漢音1。と見えたり。これは儒家の事なり。又類聚国史百八十七仏道部。〔延暦十二年四月〕丙子。制ラク。自今以後。年分度者。非vレハ習2漢音1。勿v令2得度1。また同巻百七十九に、〔延暦二十五年〕辛卯。宜3華厳業二人。天台業二人。律業二人。三論業三人。法相業三人。分v業勧催共令2競学1。仍須各依2本業疏1。読2法華金光明二部経1。漢音以及v訓2経論之中1ヲ云々。若有2習義殊高1。勿v限2漢音1。と見えて、あまたゝび漢音もて書をよまんことの詔ありし也。されど呉音に熟したる故にや、いまに漢音をばしらぬ僧もおほし。呉音をもて仏書はよむべきにかぎれりとおもふはひがことなり、
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石川雅望「ねざめのすさび」○古言

  ○古言
ふるき詞は代をふるにしたがひてうつりゆく物なり。鐔の字、和名抄に、唐韻云。鐔音尋、一音潭。和名都美波。劒鼻也とあり。此つみはを、今は高きもいやしきも皆つばとぞとなふる。又同書に、温室経云。澡浴之法用2七物1。其七日内衣。和名由加太比良とありて、湯に入し時きる衣にて、湯帷子なるを、今はゆかたとのみ略しいふなり。粉は和名之路岐毛能とあれば、しろしなど略しいひたらんを、後に御の字をかうぶらせて、おしろいとよべれば、いよ/\なに事ともしれぬ名とはなりにたり。
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石川雅望「ねざめのすさび」○すてがな

○すてがな
真字の下に仮字をそへてかくをすてがなとぞいふなる。あるひとのかたりしは、二字の詞にすてがなをせず。三字の詞よりすてがなをそふなり。たとへば善《ヨシ》といへるは二字の詞なれば、すてがなをせず。|悪《アシ》しといへば三字なる故、すてがなをぞふるなりといへり。これ大なる誤なり。かなの二字三字にかゝはれることにはあらず。うごく詞にはみなすてがなをせるが、いにしへの法なり。続日本紀よりのちの宣命、また延喜式の祝詞などを見ばしるゝことなり。いまその一二をあぐ、慰米 侍比 高久 賜比 悔備 談比 鏨久 悲備 賜不 無久 軽久 安久 直岐 平久 宜久 慶之岐 貴岐 為流 奉流 在留 浄久 明伎 賜弊流 尊伎 美之 好久 侍利 奇久 此乃 授気 明可仁 浄伎 麗岐 恠備 喜備 慈備 畏岐 喜之支 愍美 坐須 高支 厚支 広支 長久 賜覇留 斉伎 是乃 求米 能久 これらの類あげつくすべからざるを、此頃の人はよく古書をよむ人さへ、同じく斉しく古しへなどかけることはいかにそや。みな書法を守らぬ書ざまにて、俗間の手習の師といふものゝほしいまゝに書きたれるを、見ならひてするわざにして、見苦しきことなるをや。
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